「日本でも各人の家に武器があって、僕の家にも一挺の機関銃くらいあるというのなら、日本の再軍備も大いに賛成する」清水幾太郎

『〈民主〉と〈愛国〉』小熊英二著。
1950年代はじめの護憲論者たちは、「自衛権」をイコール「『国家』の自衛権」だけのこととして捉えずに、〈国民の武装〉による「自衛権」を含めた大きな概念として考えられていた。
何故なら、その当時の知識人はほぼ全員が軍隊への召集を経験しているので、銃の使用法を心得ていた。
それは、第二次大戦下のフランスがナチスドイツの占領にあっても、人民が武器を取ってレジスタンスとして起ち上がったことを知っているからだ。
そして、この時期の「再軍備」論は、何度も書いているように戦後日本に「平和憲法」を押しつけたアメリカからの強力な要請でもあった訳です。
その「再軍備」論に反対する(1951年1月)社会党は、経済的負担や軍閥復活の怖れに加え、「再軍備と自衛権を混同せず、冷静に区分して考えねばならぬ」と唱えた。つまり、自衛権そのものは認めるが、現状の再軍備は一種の「傭兵」(アメリカの)にすぎず、「第三次世界大戦に引き込まれる危険を持っている」もので、そういうアメリカからの要請は、「屈辱極まるもの」として断定しています。
※日本の「自衛権」については、何度も何度もそれぞれの時代の中で取り上げられています。
現代は、高市早苗首相の「台湾有事」発言で、「台湾有事」で日本の自衛隊が出動するという図式が当然のように語られています。でも、それって本当に「自衛権」なんでしょうか?台湾に住む日本人、滞在している邦人保護などとも主張していますが、紛争地域、戦争地域に自衛隊が出動して邦人を保護することは、素人の頭でも戦闘をするより難しいと想像がつきます。むしろ、自衛隊員も邦人も危険に晒す行為のようで、結局は、自衛隊を出動させたいのかと勘ぐります。
「台湾」や少数民族のために日本の自衛隊が出動することが正当化されるなら、アイヌ民族が差別されている、部落差別がいまだに解消されない、米軍基地により沖縄の人たちの人権が守られていないと言うことで、中国軍が日本に出動することも正当化されるでしょう。

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