2020東京オリンピック招致のプレゼンで滝川クリステルが「お・も・て・な・し」とスピーチした日本の文化はいつから始まっただろうか。
「おもてなし」ということは、日常の付き合い方では出てこない概念です。
おそらく、外からの来訪者に対する姿勢なのだと思います。
そういう文化が日本にいつ頃から定着したのでしょうか。
昔、伊勢神宮詣でが大流行した時に、その街道の脇には遠くからの参拝者をねぎらう宿や茶店(性的なことを含めて)などが作られました。それらは、商売の方に力点が置かれていたので「おもてなし」文化とは言えないような気もします。
四国には、八十八か所の寺院をめぐる巡礼の旅がありますが、そこでは巡礼者をもてなす文化があるそうです。ただ、そこには仏教の教えが入っているので、定着の過程では御利益とか罰とかの意識が少なからず働いていたのではないでしょうか。
僕が思うに、「おもてなし」文化の根底には、外からの来訪者(好まざるものも含めての)に対する畏敬、恐怖などが合いまった感情がそこにあるように思うのです。
日本(日本という国土が現在の形にある期間を含めて)に来た来訪者を歴史的に見れば、南からと北からといろんなルートがあります。
それこそ、天皇がどこから来たのかという問題も出てきます。
来訪者がいつの頃からか居座って、土着の民になったのかという問題もありますが、単純に小学唱歌にある「椰子の実」のように、遠き島より流れ来る椰子の実だけでなく人間だっていたはずです。
また、中国からは文化の移入だけでなく、武力の侵攻もありました。
辺境の国、大和に住む者にとって、外からくる者の力は脅威であります。
しかし、それらをどこかで自分のものとして取り入れることもしていました。
例えば、恵比寿さんは日本の神様と言われていますが、一説には不具の幼子が流されてきて、その子が神懸りの力を発揮するようになったので神として祀ったのが恵比寿さんだと言われています。
これは、「おもてなし」文化の源流です。
桃太郎が鬼が島に行って財宝を略奪してきますが、これも外の世界にいる鬼を自分の世界に取り入れる方法でもあります。
鬼畜米英も結局のところ、外にいる者であり、それらを自分の世界にどう取り込むかの問題です。
つまり、戦前は逆「おもてなし」であり、戦後、アメリカをいとも簡単に受け入れたことの土台が日本文化としてすでにあったという証拠でもあります。相手を恐怖し、なおかつ畏敬する仕方です。
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