チュリーップの「心の旅」ではないですが、今は汽車の中です。
釧路行きの特急「おおぞら」です。各駅の停車時間が少ないのは承知していましたが、それを「停車時間はわずかです」とアナウンスしていました。
ただただ鶴を見に行く旅です。
3月を予定していましたが、1月5日~2月28日までの限定商品で<石勝線・根室線 運転再開特別価格>と銘打ったJRとホテルのセットが出ていましたので、そちらを選びました。
これだと二人で7000円近く安くなります。
釧(くしろ)つく たふしの崎に 今日もかも 大宮人(おおみやびと)の 玉藻刈るらむ
柿本人麻呂
*万葉集で<釧>という語が出てきたので、地名?と思ったら、古代の装飾品のようです。
電子辞書「広辞苑」・・・装身具の腕輪。多く古墳時代の遺物をいう。石製品が多いが、銅・貝製品もあり、小玉・小鈴をつけたものもある。
最初は、「阿寒国際ツルセンター〔グルス〕」へ向かいました。
どこへ行っても、どでかいレンズをつけたカメラを手にシャッターチャンスを狙う人々でいっぱいです。
次は、「鶴居・伊藤 タンチョウサンクチュアリ」。
上を向いて鳴くのは、求愛行動とのこと。
鶴の飛来・飛翔は、何の前触れもなく始まります。
最後は、「鶴見台」。
鶴居村にあるセイコーマート前のマンホールの蓋です。
釧路市内で見たマンホールの蓋です。
バス停も鶴をモチーフにして作っています。
レンタカーを借りて鶴を見に移動しましたが、移動距離が以外とありました。
でも、雪もなく晴天だったのでいい旅になりました。
274号線です。
阿寒富士。煙を出しているのは、雌阿寒岳。
幣舞橋を過ぎて、少し高台にある幣舞公園にある松浦武四郎とアイヌの像です。
その碑文には、松浦武四郎を北海道と釧路の地名の名付け親と紹介していました。
釧路は、石川啄木の歌碑がたくさんあります。この建物は、石川啄木が勤めた当時の釧路新聞社を復元したものです。
さいはての駅に下り立ち
雪あかり
さびしき町にあゆみ入りにき
明治41年(1908年)1月21日に釧路に着いています。釧路には、わずか3か月ほどの滞在でしたが、多くの歌を残しています。
銅像に上記の歌が書かれていますが、揮毫は小奴とあります。釧路の芸者です。
小奴といひし女の
やはらかき
耳朶なども忘れがたり
建物の横には、本郷新作の石川啄木像がありますが、台座に書いてある文章がいいですね。
<円い人格ではなく、角だらけの人間であった>
明治17・18年には、鳥取県から100数戸の人たちが移住してきています。釧路市開基100年を記念して鳥取城に似せて百年会館が、鳥取神社横に作られました。
入口に馬の像があるので不思議でしたが、開基百年を記念にしての御神馬として奉納したとあります。
『静かな大地』松浦武四郎とアイヌ民族・・・花崎皋平著
>武四郎一行は、略四月十七日、アカンプト、現在の釧路市に帰着した。クスリ会所元である。当時(安政五年、1858年)アイヌは、漁場の雇いとして人家七十五軒、人別三百八十五人の大きな集落に集められていた。
つまり、釧路開基百年というのは、アイヌの人たちがすでに住んでいたことを無視した和人の都合と言われても間違いではありません。
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